日本ウルグアイ友好親善協会・ウルグアイ事務局提供

・・ウルグアイの経済・・
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ウルグアイは国土の90%以上が牧場で、歴史的に牛と羊を放牧してきた国であり、製造業はあまり発達していない。国民性ものんびりした、とても親切で純朴な田舎のおじさん、おばさんと言う感じの人々が多い。生活は質素で、あまりお金を使わない。
歴史的には、ヨーロッパの各国々から、多くの移民が牛、羊、馬、を持って、親族一族を引きつれてウルグアイにやって来た。特に、スペイン、イタリア、からの移民が多かった。現在、スペイン系の移民の子孫が人口の 50%、イタリア系の移民の子孫が30%と言われている。今でも、伝統的に両国の文化の影響が大きい。第1次世界大戦後、ウルグアイはヨーロッパの国々に牛肉、羊毛、などを輸出し、ひじょうに豊かな国であった。その頃建てられた壮麗な建築物が今でもモンテビデオ市のメインストリートに多く残っている。1950 年代になると、牛肉、羊毛の国際価格は下落し、それに加えて1973年の石油危機によって石油価格は高騰し、ヨーロッパ各国は食肉の輸入制限を始めたので、ウルグアイ経済は大きな打撃を受けた。政府は輸出振興策を取ったが、財政赤字は拡大し、インフレは昂進した。1970 年代から1980年代前半は南米の多くの国々でハイパーインフレと累積債務の返済不履行、利子支払い不履行問題が大きな問題となった。ウルグアイでも、インフレは、 1986年 〜1988年 70%〜80%、1989年 89%、1990年 129%、1991年 80%、と高いインフレになった。ブラジル、メキシコ、アルゼンチンなどはその頃、インフレは 2,000%~〜3,000%であったことと比較してみると、ウルグアイは、経済的に南米の中では、比較的安定していたと言える。最近では1997年 15.2%、1998年 8.6%、1999年 4.2%、2000年 4.8%となっている。1985 年の第一次サンギネッティ政権では、輸出振興と国内産業振興に力を入れた。1986 、1987年は幸運に恵まれ、羊毛の国際価格が上がったので、輸出が伸び、賃金は上がり、国内消費も伸びた。経済成長率は年間8%であった。その後のラカジェ政権においては、 1990年〜1993年の経済成長率は年間3.5%であり、1994年は4.5%であった。メキシコの通貨危機の影響を受けたアルゼンチンの経済不振の影響を受け、1995年はマイナス成長となった。アルゼンチンのメネム大統領が 1995年再選され、1996年アルゼンチン経済は回復し、ウルグアイ経済も回復した。1996年の経済成長率は4.9%だった。1997年は、5.1%、1998年は、4.5%であった。1998 年1月のブラジル金融危機によって、ブラジルは通貨の変動相場制へと移行せざるを得なくなり、1998年末で1ドルが1.9レアルとなり、通貨価値は約半分になった。アルゼンチンは固定相場制を維持したので、1ドルは1ペソで変わらず、ブラジルと比べて相対的に物の価値は約2倍となり、ブラジルから多くの商品が輸入されるようになり、国内産業が大きな打撃をこうむった。自動車工場、家庭電気製品の製造工場などが次々とアルゼンチンの工場を閉めて、ブラジルに移動するようになった。失業率は増え、2000年末で15.4%になっている。ウルグアイでは、13.9%、ブラジルでは、7.3%になっている。1999 年のウルグアイの経済成長率は、−2.5%であり、2000年も引き続き、マイナスとなる見込み。 |
1999年メルコスール各国のGDP(国内総生産)輸出、輸入比較
ウルグァイの金融政策は銀行の個人情報の守秘義務、為替取引きの自由、 会社への海外資本参加自由(100%外国資本の会社可能)、資本と収益の本国送金に関する規制なし、外国銀行と国内銀行の法的差別なし、個人所得にたいしては無税、など南米で最も金融システムの規制緩和が進んだ国である。
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1996年メルコスール各国のGDP(国内総生産)比較
ウルグァイ、1996年 GDP伸び率(経済成長率)4.9%、 輸入32億2.280万ドル、機械、化学製品、車、石油、 貿易収支8億2,558万ドル 赤字
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©杉山孝、日本ウルグアイ友好親善協会
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