アルティガス将軍は“自分の指導者として立つ権威は皆さんによって与えられたものである。”と言って、独立軍を指揮したので、この言葉がウルグアイの民主主義の根本になっている。今でも、アルティガス将軍はウルグアイ建国の父として、あがめられている。
その後、1822年ブラジルはポルトガルから独立し、ウルグアイをブラジルの領土の一部であるとして、シスプラチナ県と名付けた。1825年、アルティガス将軍の副官であったアントニオ・ラバジェハ将軍が、アルゼンチンの援助を得て、33人の独立運動の勇士と共にコロニアの近くに再上陸し、住民とともにブラジル軍と戦い、モンテビデオを奪回した。その時、国旗に“自由か死か”と書いてそれを掲げて戦った。この旗は今でも正式なウルグアイの三つの国旗の一つとなっている。最初の国旗は、アルティガス将軍の独立運動の時の国旗、そして現在の国旗と三つの国旗がある。
1825年8月25日、ラバジェハ将軍と33人はモンテビデオにおいて、ウルグアイはブラジルから分離独立することを宣言した。1827年ブラジルはウルグアイに宣戦布告して全面戦争に入った。ウルグアイはアルゼンチンの援助を得て、ブラジルとの戦争に勝利しブラジル軍を追い返した。ブラジル側は8,000人の死者をだした。1828年には、イギリスの調停によって、ブラジル、アルゼンチンがウルグアイを両国の緩衝地帯として独立させることを承認した。
1830年7月18日憲法が発布され、ウルグアイは正式な独立共和国として成立した。この時ウルグアイの住民は74,000人に減っていた。
20年に渡る独立戦争で多くの人々が死に、多くの家庭は破壊され、ほとんどの馬、牛、羊、などの財産も失われた。
最初の大統領はホゼ
リベラで、コロラド党の初代党首、モンテビデオを支持基盤としていた。イギリスとフランスの支持を受け、後にブラジルがコロラド党を支持するようになった。第二代の大統領はマヌエル
オリベで、ブロンコ党の初代党首、地方都市を支持基盤にしていた。
1843年 ~ 1851年。アルゼンチンの支持を受けていた。ブラジルとアルゼンチンの代理戦争のように、コロラド党とブロンコ党は戦った。イタリア、スペインその他のヨーロッパの国々から多くの移民がウルグアイに来た。牛、羊、も多くヨーロッパから輸入された。1900年には、ウルグアイの人口は100万人になった。
1903年 ~ 1915年の間に、ホゼ・バジェ・イ・オルドニュスは2回大統領となり、民主主義の基盤を作り、社会福祉政策を推進した。1960年代後半から、1970年代前半にかけて、共産主義極左暴力革命グループ
“ツパマロス”を中心としたテロ活動が激化し、政情不安となった。1976年軍の力を背景にしてボルダベリー大統領は国会を閉鎖し、軍事政権となった。
1984年11月、民政移管するため、大統領選挙が行われ、フリオ・エリア・サンギネッティ大統領(コロラド党)が当選した。1989年11月に行われた大統領選挙では、アルベルト
・ラカジェ大統領(ブロンコ党)が当選した。1994年11月
再び、大統領選挙が行われ、サンギネッティ大統領(コロラド党)が再選を果たした。
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